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1.はじめに
身体障害者スポーツが組織的に行われるようになったのは,英国のストークマンデビル病院国立脊髄損傷センター所長のグットマン博士が,脊髄損傷患者のリハビリテーションプログラムのなかにダイナミックな治療手段としてスポーツを取り入れ,1948年の第8回ロンドンオリンピック大会の日に病院内で競技会を開き,1952年にはオランダの弓術チームが参加し,国際大会として発展したのが始まりである.以後,毎年7月に国際ストークマンデビル競技会(International Stoke Mandevill Games)として行われている.1960年のローマオリンピックから,オリンピックの年は同大会のあと同じ施設を利用して国際ストークマンデビル競技会を開催することになった.これが今日のパラリンピックの第1回大会である.
日本では,1964年(昭和39年)東京オリンピックのあとにパラリンピック東京大会が開催されることになったのを機に,全く目の向けられていなかった国内の身体障害者スポーツの振興を積極的に進めるように,昭和38年に厚生省社会局長名の通知が各都道府県知事宛に出され,それまで実施されていなかった身体障害者スポーツ大会が各県で開催されるようになった.
パラリンピック東京大会の成功後,昭和40年に日本身体障害者スポーツ協会が発足し,国民体育大会のあとに,同じ施設を利用して第1回全国身体障害者スポーツ大会(以下,全スポ大会)が岐阜県で開催された.以後毎年行われるようになり,年々盛んになるとともに国内の身体障害者スポーツの振興に大きく貢献した.昭和49年に日本で最初の障害者専用のスポーツセンターとして,大阪市身体障害者スポーツセンターが設立され,また各県に障害者スポーツ協会が設立されるなど,練習場所や指導者にめぐまれ,在宅障害者を中心に記録重視のチャンピオンスポーツを志すものが多くなった.同時に各競技別団体が組織化され日本選手権を開催するなど,現在では,リハビリテーションとしてのスポーツから,競技スポーツへと急速に発展していった.
高知県においても,昭和38年に第1回高知県身体障害者スポーツ大会が行われているが,障害者スポーツの先進県に比べて非常に遅れているのが現状である.最近では,少しであるが障害者スポーツが理解されてきているので,高知県の取り組みについて述べてみたい.
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