理学療法草創期の証言
徳島県士会創立当初を顧みて
上田 正信
1
1老人保健施設ユート
pp.42
発行日 1995年1月15日
Published Date 1995/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104203
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私は,1968年徳島県立盲学校リハビリテーション科一期生として,理学療法士の資格を修得し,徳島市民病院に勤務することになったが,当時はリハビリテーションという言葉も理学療法士という職種も皆無に等しい時期であり,一日も早く理解され社会的に滲透することが私たちに課せられた使命感のようにも思え,各職場(病院,施設)はむろんのこと関係各方面に向け説明に走る日々が続いていた.
1969年社団法人日本理学療法士協会会長松村秩先生より協会支部として徳島県に理学療法士会を設立するようにとの要請があり,八木徳夫先生(当時徳島県立盲学校教諭)の音頭により,同年11月23日結成準備科員会を5名の理学療法士で開催した.そして同年12月21日徳島大学整形外科学教授山田憲吾先生(後,同大学長)の御臨席を仰ぎ,八木先生が初代会長となり,また,山田憲吾先生をはじめ,野島元雄先生(当時徳島大学整形外科学教室助教授),加藤直則先生(徳島県立ひのみね整肢医療センター園長),福本礼一先生(徳島県立盲学校長)が快く士会のために顧問を引き受けてくださり,ここに「日本理学療法士協会」徳島県理学療法士会創立総会を開催した.その折,松村秩協会長のメッセージを代読した.会員9名全員が熱い団結の下にそれぞれの役に就き,母体であるところの協会の活動はむろんのこと,自らの学術向上,社会的地位の向上,確保および会員相互の交流,親睦を図ることを目的とし,講習会,研修会を柱に会則の議決,確認を行ないスタートの運びとなった.
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