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多くの理学療法士が働く病院や福祉関係施設が理学療法士に求めるものは,大きく変遷してきている.以前は,理学療法士の絶対数が不足していたために,理学療法士の資格さえあれば比較的容易に希望する職場に就職でき,また自分の都合や希望で職場を変えることが可能であった.しかし近年,理学療法士の養成校の増加により,その数も驚異的に増加してきたことと,一般社会の医療や福祉に対する視点および認識の変化,そして診療報酬の改定により多くの病院が経営的に厳しくなってきている現状を考えると理学療法士の資格さえあればよいという時代ではなくなってきた.まだ地域や職場によっては不足しているところもあるが,近い将来それも満たされることとなるであろう.もはや理学療法士は職場を選ぶ立場から選ばれる立場になってしまったのである.既に一般社会の認識は年功序列から能力重視に変化してきている.その流れは徐々にではあるが理学療法士の世界にも到来してきている.色々な情報が新聞やテレビやインターネット,書籍などで簡単に手に入る現在,社会が理学療法士に求めるものはより厳しくなってきた.
では,これからの理学療法士には何が求められるのであろうか.豊富な知識や卓越した技術は無論であるが,それ以外に何が求められるのであろうかと私なりに考えてみると,まずは人格ではなかろうか.少なくとも社会一般常識が身についた人が求められる.どんなに知識や技術が優れていても社会常識に欠けると人間相手の仕事はできないからである.近年医療や福祉に従事する人達への人格に対する社会批判が多く噴出してきている.そのためにも理学療法士も人格を形成する努力が必要と考える.次に考えられることは対象となる人の立場に立って治療や指導ができる理学療法士ではなかろうか.われわれが対象とする人達の真の気持ちは「良くなりたい」,そのためには納得のできる治療や指導を受けたいというのが本音ではなかろうか.すなわち自分の気持ちを理解し,自分主体の治療や指導を望み,理学療法士主体の押付のサービスは望んでいない.過去の日本の医療や福祉はどちらかと言えば押付型で本人の選択の範囲は非常に狭かった.現在は病院も施設も選ばれる立場に変化してきている.その環境の中で働くわれわれ理学療法士も今は選ばれる立場であることをよく考えて仕事をしなければ対象者から見放されるであろう.またわれわれ理学療法士の仕事の相手が生身の人間であることを考えると,どんなに人格形成に努力し,相手の気持ちになって仕事をしていても多かれ少なかれ色々な問題や壁に遭遇する.それを解決するためには常日頃より,何事に対しても自己満足することなく,自分がやっていることや他のスタッフのやっていることに対して,いつも「なぜ」という気持ちを持つことが大切ではなかろうか.その気持ちを持ち続けることが問題解決能力を養っていくことに役立つと考える.各病院や施設には色々な事態を想定したマニュアルがあると思う.しかしマニュアルは想定外の問題には何の役にも立たない.われわれの仕事は生身の人間相手である.持っている問題も各人様々で,マニュアルで解決できることは少ないと思われる.想定外の問題を解決するためには常日頃より,何事に対しても「なぜ」という気持ちを大事にしてほしい.
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