明日の検査技師に望む
昨日と今日と明日
高木 紹夫
1
1深谷赤十字病院
pp.108
発行日 1995年2月1日
Published Date 1995/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543902237
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僕はもともと医者になる気はなかった.同業であれば当然父と比較されるからである.
鼠咬症の病原スピロフェタの発見者で,日本脳炎の命名者でもあり,世界人名辞典に名を残している父と,不勉強な僕が太刀打ちできないのが明白であったからであるし,まったく性格も違ったからである.旧制中学卒業時(昭和12年),デザイナーを志望して峻拒されたのも当然であった.というのは父の心の中に十六代目の医者の期待が長男の僕に秘められていたからであろう.いわゆる文学少年は当時映画の評論を投稿し,劇に深い興味を持っていたのである.その生活は大学卒業し今なお持続しているのであるが,とにかく父の要望に応えて,父が眼をつむるまでは医者をすることになった.そして,45年余りを深谷赤十字病院で過ごし,11名の職員が600余名になるまで,遂に生き続けて来たのである.
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