検査を築いた人びと
独自の耳鏡を開発した ジョセフ・トインビー
深瀬 泰旦
1
1東京慈恵会医科大学医史学
pp.990
発行日 1987年8月1日
Published Date 1987/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543204225
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19世紀初頭のイギリスでは医師の登録制度がなく,一般大衆も,医業もともに,無資格な開業医から守られていなかった.耳科学の分野でもいわゆる"いかさま医師"が横行し,ジョン・カーティスと名乗る海軍の調剤師上がりの男が,耳科専門医というふれこみで,ロンドンの高級住宅地であるソーホー・スクェアに立派な邸宅を構え,たちまち貴族の間に多くの患者を獲得した.ロンドン医学協会でカーティスの研究発表を聞いたトインビーは."耳科学をいかさま医師の手から救わなければならない"とひそかに心に誓い,見事これを成し遂げたのである.
ジョセフ・トインビーは1815年12月30日,イギリスのリンカンシャーのヘッキントンに生まれた.ロバート・オーエン教授のもとで王立外科学会の実験主任を務め,1841年には26歳の若輩にもかかわらず,その評議員になった.この有為の青年は,ある人から耳科学を専攻する無益をたしなめられたが,あえて将来性のない耳科学の分野に入ることを決意した.
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