技術解説
野兎病の細菌学
大原 嘗一郎
1
OHARA SHOICHIRO
1
1大原綜合病院
pp.799-804
発行日 1963年11月15日
Published Date 1963/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542916997
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はじめに
大正12年(1923)ごろ福島県をはじめその隣接地山形・宮城県下の山間部落に不思議な病気が流行した。それは野兎を料理したり,食べたり,その手伝いをしたヒトが2〜3日後に突然発熱,頭痛,関節痛などを訴えて,腋窩や肘部のリンパ節が腫れてくるもので,たまたま福島市大原病院にも親子3人の患者が訪れ,筆者の父大原八郎(1882-1943)が初めてこの病気に注目したのが研究の発端となった。
それまでこれらの患者は,簡単なリンパ腺炎,瘰癧あるいは梅毒として治療されており,この3人の患者も自ら606号の注射を希望して来た。大原(八)はその疾患の本態を究明するため,翌13年1月その妻の手背に流行地から拾ってきた斃死野兎の心血をぬって,これが野兎から感染する一種の微生物による独立した熱性疾患であることを証明し,後にこれに野兎病と命名した。同時にその人体実験の症例を含め5名の患者の血清と剔出したリンパ節とをワシントンにある公衆衛生局のFrancisのもとに送り,これが当時彼がみつけた新しい疾患ツラレミアと同じものかどうかを問い合わせた。その結果は予想どおり野兎病(大原)とTularemia (Francis)とは血清免疫学的に同一な疾患であることがわかり,Francisはこの日本の疾患を大原病と呼んだ。彼はまた日本から送られた材料からツラレミア菌を分離した。
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