中検へ一言・中検から一言
患者の顔を見ない"臨床医"の自覚,他
土屋 雅春
1
1慶大・内科
pp.44-45
発行日 1976年1月15日
Published Date 1976/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542909241
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「中検へ一言」するチャンスを得たが,まず日ごろお世話になっていることに感謝せねばならない.今や,臨床家にとって,中検の存在は聴診器やメス以上のものになっている.患者が提供しうる医学情報のうち,各科に共通しうるものや,既にある疾患の診断に特異的とされるデータを機械的に処置して提供するのが中検の役割りであろう.私は,1957年に,ローマのポリクニコを訪れたとき,病院の地階全体が放射↑↓線診断部になっていて,胸部レ線から血管撮影まで多数の撮影室が並列していた壮観を思い出す.そのころでは,放射線診断について各科が別々で,特殊なものについては必要と考えた科が器械を設置してやっていたからである.放射線領域でなされた中央検査システムは,血液,生化学,細菌,病理組織やMEの領域で急速に広がり,現在のような中検制度が完成したといえよう.しかし,中央検査システムに慣れてくるといろいろな欠点が眼についてくる,手近なところでは,放射線診断部では,予約が一杯で緊急の診察に不自由を感ずるとか,生化学部門ではせっかく採血したスピッツが破損してしまったとか,測定器具が不調のため検査ができぬから待ってくれとか,臨床家にとって思わぬプリミチブな事柄で当惑することがある.
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