私の検査室
東京文化医学技術学校紹介
近藤 宏二
pp.379-380
発行日 1958年6月15日
Published Date 1958/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542905478
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最近目ざましい進歩をとげてきた臨床医学の分野で特筆することは,診断の技術が高度に発達し,それが実用化されてきたことです。このことは着眼して逸早く,臨床技術者養成を力説されたのが,臨床病理学会会長である橋本寛敏博士でしたが,同博士が理事長の任にある東京文化学園では先駆的使命を果そうとして,医学技術研究室を創設し,もつぱら女子を対象として,職業教育を施すことを始めました。昭和27年のことで当初は近藤が中心となり次いで各方面の協力を得て研究室の仕事を進めてきました。実習の場所として国立東京第一病院と聖路加国際病院の臨床検査部,及び東大医学部血清学教室がこれに協力して下さいました。修業課程は約1年半で64名の修業生を出し,その全員が今日各地の病院に就職しています。なお昭和30年4月東京都知事の認可を得て,東京文化医学技術学校が,わが国最初の臨床検査技術者教育機関として出発しました。高等学校卒業以上の学歴ある女子に公開試験を行い,1カ年は学内での基礎講義と基礎実習を,第2年目は国立東京第一病院,東大医学部,聖路加国際病院,日赤輸血研究所に派遺されて実務の実習を行うのです。今や漸くその真価が全国医界に知られようとし,卒業生を求める医療機関は益々多くなつてきました。以下本学校の内容のあらましを述べて参考に供しましよう。
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