学園だより
東京文化医学技術専門学校
阿部 美紀子
,
福岡 良男
pp.214
発行日 1988年3月1日
Published Date 1988/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543204425
- 有料閲覧
- 文献概要
■沿革
本校(校長・福岡良男,東京都中野区)は,1学年定員64名からなる女子校で,1987年3月に35回目の卒業生を送り出した.母体となる東京文化学園もこの年で創立60周年を迎えた.1927(昭和2)年に女子に消費経済の知識を教育し,世に出て役だつ人材を育てることを目的として「女子経済専門学校」を森本厚吉博士が創立され,初代学長として新渡戸稲造博士を迎えた.戦後の学制改革で,幼稚園,小学校,中学校,高等学校,短期大学の五つの学校がスタートした.
1952(昭和27)年,創立時から学園の経営,教育に当たっていた理事長の橋本寛敏博士が渡米した際に臨床検査技師制度を見聞され,日本においても専門の職業として検査技師を養成する必要があると考えて森本静子学長に進言し,短期大学の中に「医学技術研究室」を設置した.発足に当たり,臨床病理学会の前身である「臨床病理懇談会」のメンバーであった緒方富雄博士,坂口康蔵博士,加藤勝治博士らも発起人となった.さらにカリキュラムの編集には近藤宏二博士,守屋博博士,小洒井望博士らが当たられた.当初の教育は国立第一病院(現在の国立病院医療センター)内で行われ,1955年3月に"東京文化医学技術学校"に昇格した.設置要項には「本邦の最初の新しい女子職業分野の開拓と優秀な職業人を育成する事を使命とする」と記されている.1958年には衛生検査技師法が公布され,検査技師の資格が法により定められ,2年制の養成施設となった.その後59年3月,養成校の第1号として認可され,71年に臨床検査技師法が制定されると共に現在の三年制の専門学校となった.
Copyright © 1988, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.