コーヒーブレイク
昴(すばる)
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.980
発行日 2000年9月15日
Published Date 2000/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542904482
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正式に臨床検査の世界に足を踏み入れたのが1962年だからほぼ40年たったことになる.臨床病理学会が第一回総会を開いたのが1954年であったが,1964年以前に大学で講座があったのは県立山口医科大学(柴田進教授)と順天堂大学(小酒井望教授)のみで,1964年にようやく昭和大学(石井暢教授)と日本大学(土屋俊夫教授)の2校に講座が認められた.またこの年に雑誌臨床病理が事情によって金原出版の手を離れることになったので順天堂大学の小酒井さんらの要請で同社員の八木氏が臨床病理刊行会という名で独立してこれを引き継ぐことになった.
また同年に始めた国立大学検査部から,東京大学樫田良精助教授が総会長に指命され,以後これに続く大学が出てきて国立大学に講座なしの検査部教授認定のはずみとなった.私も1970年に第17回総会長に指命され,学生紛争なお華やかな時代であったが,検査は一日も休めない性格から全学の協力が得られ,総会を遂行して,同年教授に任命された.それから10年後に国立大学にようやく講座の設置が認められ,大阪大学,新潟大学,東北大学の順に1年1校宛,文部省との話し合いで名称も病理との競合を避け,検査診断学講座を名乗ることになった.次年度からは急速に全国に講座が認められ名称も自由となった.最近学会内に名称検討委員会ができ名称統一が議されているが時代の流れが感じられる.
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