コーヒーブレイク
紅萌ゆる
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.76
発行日 1998年1月15日
Published Date 1998/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542903623
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京都大学検査医学教授だった村地孝さんが退官まもなく急逝されてから早いもので7年半の歳月が流れた.しかし彼氏の印象はときを経てさらに新たなるものが多い.
名古屋市立大学生化学教授から検査医学領域に移り分析化学の新風を吹きこんだり,文部省の科研費を獲得しやすくしてくれたなど,功績は数多い.国立大学中検会議などでの弁舌さわやかな論旨,国際学会での外人そこのけの巧みな英語など才気奔ばしる存在は特有であった.私がご一緒した仕事では,ある人から私的な学術集会の結成を依頼され,河合忠さんと村地さんに相談して研究フォーラムを数年間続けたことがあった.検査隣接領域の名だたる研究者に年数回東京か関西に集まっていただき当時第一級の研究を開陳してもらい,ものすごいカルチャーショックを受けた.このときの村地さんの企画,他分野に対する深い理解からくる司会ぶりは今でも鮮やかに思い出される.
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