コーヒーブレイク
華も実もある
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.1169
発行日 1997年10月15日
Published Date 1997/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542903449
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会津若松から北の方裏磐梯附近は湖沼の多い景勝の地であるが,そのさらに北は峨々たる山中を羊腸とした道が続いており,白布温泉から船坂峠を下ると山形県米沢に達する.若松から南の方に同じぐらいの道程を猪苗代湖畔を経て茨城街道を辿ると,わが故郷である福島県白河に行き当たる.
戦国時代に最強とうたわれた越後の上杉は,徳川に敵対し会津120万石に移封され,さらに米沢に移されたときはわずか15万石の貧乏藩となった.しかし,以前の武士数を抱え,民を食さしめんための苦難の道が続くことになった.白河は徳川の親族の松平の所領であったが,やはり11万石の小藩であった.この両藩に徳川中期,天明の前後に時を同じくして,後世まで語り継がれる明君上杉治憲(鷹山)と松平定信(楽翁)が出現して善政を施した.
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