わが病院の患者サービス
大阪労災病院
伊藤 篤
1
Atsushi ITO
1
1大阪労災病院
pp.514-515
発行日 1990年6月1日
Published Date 1990/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541900664
- 有料閲覧
- 文献概要
◇一般病院から“ソアミック”へ
医療は医科学を技術とするが,患者に対するおもいやりの心が根底になければならない.
本院の開設は昭和37年4月,当時にしては斬新な,冷暖房完備された500床の病院としてスタートしたが,昭和50年半ばになってこの周辺は一変した.堺泉北臨海工業地帯の造設を始めとして,阪神高速道路,中央環状線と主幹道路の完成,地下鉄線中百舌鳥開通,更には平成5年泉南沖国際新空港開設が予定されており,この地域のめまぐるしい変遷は,地域医療の意識変革をも余儀なくさせた.堺市の人口80数万を含め,大和川以南の大阪南部300万人の医療拠点としての気運がたかまってきたのである.当時の第3代塩田憲三院長はそれをいちはやく察知され,手狭になった外来ならびに給食部門,更には老朽化した手術棟の改築,増加の一途を辿る心疾患などへの対応をはかるべくCCUまたICUの設置など,昭和59年来5カ年計画として増改築を意図された.そして平成元年762床が完成,南大阪地区における医療センターとしてのニーズに応えた施設に生まれ変わった.
Copyright © 1990, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.