特集 病院ルネッサンス
現代の病院医療への提言
飯島 宗一
1
,
村上 陽一郎
2
,
中村 雄二郎
3
,
波平 恵美子
4
,
木村 登紀子
5
Soichi IIJIMA
1
,
Yoichiro MURAKAMI
2
,
Yujiro NAKAMURA
3
,
Emiko NAMIHIRA
4
,
Tokiko KIMURA
5
1名古屋大学
2東京大学教養学部科学史,科学哲学
3明治大学法学部
4九州芸術工科大学芸術工学部
5聖路加看護大学
pp.25-34
発行日 1987年1月1日
Published Date 1987/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208978
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「病院」を考える
わが国における病院の発祥
西欧の意味での「病院」は,明治時代に至るまで,日本では発達を見なかった.1556年に豊後に設立された府内病院は,おそらくわが国最初の「病院」であると見られるが,それはルイス・アルメイダにより建築され,運営されたものであり,キリスト教と西洋医術とを骨組みとするものであった.秀吉のキリスト教弾圧によって府内病院は33年の歴史を閉じ,その後,わが国に「病院」が現れるのには,1861年の長崎養生所設立まで,およそ300年の歳月の経過をまたなければならなかった.
この間に小石川養生所のような施設の設立があったにしても,何故日本に「病院」の独自の発展がなかったのかという問題は,明治以後現在に至るまでの日本の病院の在り方と性格を考える上で,等閑に附することのできない課題である.それには精密な検討が必要であろうが,まず日本の医療が投薬内服を主体とする漢方医学を主流とするものであったことがあげられよう.外科は戦国時代いわゆる南蛮流が入り,更にオランダ流外科が加えられたが,漢方自体は解剖学的基礎を欠いた.また開業医制を主体とする医師の社会的な在り方,医師養成の私的性格,公衆衛生的観点の欠如,おしなべて医療・保健におけるパブリックな観念および施策の未熟性をあげなくてはならない.
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