隠れた戦中医学史 ペニシリン秘話
ペニシリンの改名と臨床効果
落合 勝一郎
1,2
Katsuichiro OCHIAI
1,2
1学校法人東京文化学園
2財団法人聖路加国際病院
pp.498-500
発行日 1986年6月1日
Published Date 1986/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208851
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"碧素"に改名
ペニシリンが戦争の混乱のさなかにわが国で研究され,続いて工場生産に進み,第一線で闘う兵士にも,また東京の大空襲時や,更に広島の原爆投下に際しても,量こそ少なかったが,日本製ペニシリンが堂々と使用されていた事実を知る人は極めて少ないが,"碧素"という名前は多数の人たちが意外に心にとめて知っている.
ペニシリンの名前が碧素に変わったのは第7回ペニシリン委員会(昭和19年12月23日,陸軍軍医学校将校集会所において)の時であった.議事録によると,この委員会で三木陸軍軍医学校長から名称変更の議案が提出され,次のような説明が行われている.
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