隠れた戦中医学史 ペニシリン秘話
日本製ペニシリン第1号
落合 勝一郎
1,2
Katsuichiro OCHIAI
1,2
1学校法人東京文化学園
2財団法人聖路加国際病院
pp.142-144
発行日 1986年2月1日
Published Date 1986/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208773
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昭和60年7月20日,その日は朝からジリジリ焼きつくような灼熱の太陽が照りつける日であった.湿度が低かったこともあったが,初めて会う人からペニシリンに関する情報を取材する手前,ネクタイを締め,白地の上衣を着て,名鉄一の宮駅に降り,タクシーに乗る.案内役は名古屋の橋本竜清氏で,この人は公立の中学校長を永い間勤め,現在は国際医療管理専門学校の副校長をされている医療畑の親しい友人の一人である.
戦時中,物も人も極端に不足し,悪条件が重なりあってがんじがらめのどん底の環境の中で,昭和19年は終わりに近く,戦局もいよいよ末期的状態に追い詰められた時期に,我が国で初めてペニシリンの工場生産が成功した.軍の力を持ってしても到底新しい設備を期待することはできなかったので,倉庫から古い施設や機械類を引っ張り出して寄せ集めた貧弱な生産設備を動かして,量こそ取るに足りないわずかなものであったが,とにもかくにも我が国初のペニシリンができたのである.
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