人
綿密な思慮と判断力で 浦和市立病院院長 柳下徳雄氏
嶋井 和世
1
1慶応義塾大学医学部
pp.568
発行日 1982年7月1日
Published Date 1982/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207775
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柳下徳雄院長とは母校の慶応大学医学部在学当時から同じグループの一人として今日まで一番深く付き合ってきた仲である.文学座の杉村春子さんのご主人であった故人の石山秀彦君も同じグループの一人で,特に我々三人はその中でも気の合った仲間であった.気の合った仲間というのは性格が似通っていたからというのではなく,むしろ三人三様の,それもかなり違うお互いの性格でそれが吸引力となったのかもしれない.
柳下徳雄君は臨床家として伝染病を専攻して今日を築いた.私自身は母校に残って基礎医学を専攻したので,仕事の上での接触はあまりなかったが,現代のように伝染病がはやらなくなった時代に彼の仕事もあがったりではないのかと危惧したのは素人の浅はかさで「現在の感染症の領域ならおれにまかせておけ」といった見識が感じられるのは彼の一貫した学問への情熱と信念のしからしむるところであろう.柳下君の信念的な行動は緻密に,また周到に思いをめぐらしての判断がその基盤となっている.だから彼の持ち前の積極性もそこから出てくるのだと私は考えている.先般ブラジル政府の招聘で同国の感染症対策の指導にゆき勲章を受けたと聞く.柳下君の学問的評価を物語る一証左と言えよう.
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