グラフ
長崎市の病院史を歩く
pp.9-14
発行日 1979年1月1日
Published Date 1979/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206745
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鎖国の窓の時代
1571年に長崎が開かれて以来,キリスト教,それもカトリックの布教基地を兼ねた貿易港として発展した長崎の町は,やがて鎖国の窓となって2世紀余り特異な町となる.
最初の1世紀近い南蛮文化全盛期には,当然のことながら,カトリック教会,修道院に付属する医療施設が司祭・修道士によって継続された.長崎にはじめて布教に来たポルトガル人医師ルイス・デ・アルメイダは1567年に修道士として長崎の領主を訪問する.しかもその没年の1583年には,長崎にミゼリコルディア(慈悲屋)つまり慈恵病院力設立され,七つの分院を経営する.これはアルメイダが1556年から豊後府内(大分)に設立した慈恵病院と同じ形態であるが,長崎のものは日本人キリシタンジュスチーノとその妻ジュスタが設立した.大禁教令発令の1614年,他のキリスト教会,サンチャゴ病院が破却され,その資材置場となっていたが,1620年,長崎のミセリコルディアの建物も破壊されてしまった.
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