病院のあゆみ
病院管理学的にみた昭和初期の大学病院(2)
守屋 博
1
1順天堂大学,病院管理学
pp.1028-1032
発行日 1978年12月1日
Published Date 1978/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206741
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放射線による診断と治療
レントゲン線発生器が日本に輸入されたのは明治の末期であるから,昭和初期までに20年近くたっていたが,発生線量は未だ非常に弱く,撮影時間は長く,明確な写真をうつすことも透視もそんなに容易ではなかった.大学の各教室はそれぞれ専用の器械をもち,教室員は各自が受持ち患者の透視撮影を行っていた.つまりレ線読影の専門家はいなかった.
第一外科には,シーメンスの撮影器が一台あって,大谷という小僧以来30年というベテラン技術員が,輸入以来一人でスイッチを入れたり現像したりなどしていた.管球は当時ガス球からクーリッヂに変ったばかりの時であったが,外科では主として胃の造影に使われることが多かった.それも粘膜レリーフなどは無理で,全体として欠損像がわかる程度であった.教室員のうち,伊知地君や佐分利君のように,レントゲン係を割当てられた諸君は段々と専門化し,うまい写真をとるようになると同時にほかからの依頼撮影をするようになった.しかし読影については討論会をもつようなことはなかった.血管撮影や間接撮影が始まったのは大分後である.
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