小特集 院外処方
医薬分業実施への踏み台として—愛知県薬剤師会中央薬局の場合
尾木 茂
1
1愛知県薬剤師会
pp.23-25
発行日 1976年9月1日
Published Date 1976/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206002
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中央薬局開設の経緯
昭和35-6年頃,全国的に大学病院の第二薬局開設がブームに乗ったのは,甲表病院に患者が殺到し,また,高価な新薬が使用されるようになったため,薬品購入費の病院全予算に占めるウェイトが大きくなって,他部門の予算を食うような状態になってきたためだったと聞いている.
名大病院も同様の状態で,遅ればせながら第二薬局を開設したいということで,当時の鷲野薬局長から愛知県薬剤師会へ,その申し出があった.県薬剤師会では,院外処方せんが第二薬局のみでなく,一般の保険薬局へも出回るかどうかが問題となり,既設の阪大病院,京大病院等の第二薬局を視察して検討したところ,その可能性ありということで,名大病院第二薬局の開設に賛意を表したが,院外処方せんの3割を一般保険薬局へ流すよう取り計らう等,条件を付した内容の契約書案を提示した.また当時,高野日薬会長が厚生省に働きかけ,大学構内での第二薬局の開設は,公私をみだりにするものとして反対が表明されたし,かつは,切迫した病院経済を追加予算で救う手が打たれ,この申し出は一時立消えの形となった.
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