特集 看護に提言する
私の期待する看護業務とは
芝田 不二男
1
1高知女子大学・哲学
pp.32-35
発行日 1973年5月1日
Published Date 1973/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204986
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●はじめに
現代日本の医療は,全体として見ると,片輪であるといってよい.なぜなら医療全体では,中心的役割を果たすものであるが,機能としてはその一部である診療部門は,ある程度発達している.しかしそれを協力して全体医療を構成するはずの看護やその他の部門が未成熟であるために,全体としては,バランスのとれた医療として機能していないからである.
まず医師の行なう診療は,笹原邦彦教授の言うように(‘現代看護論集’"看護の本質——あるひとりの予備患者の提言"昭和45年,メヂカルフレンド社,p.264)本質的にプロクルステスのベッドであるといってよい.ギリシア神話の巨人プロクルステスが,訪れた旅人をベッドに寝かせ,旅人の身長がベッドより長ければ,その長い部分を切り落とし,ベッドより短いときは,それに合うように伸ばして殺したというが,診療が,医学と医療技術に支えられ,その機能がある限界をもち枠組をもっているかぎり,それによって人間に対すること,そのことがすでに,その人間を切り殺すことを意味している.つまり科学的に整理された病気の科学がまず先にあって,そのプロクルステスのベッドによって,生きた具体的人間の診断が下されるということ,そのことが,具体的な生活をもった人間としての患者から,生きた個性的人間としての諸特性を取り去り,‘もの’としてのケースを扱うこととなるのである.
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