病院の広場
過疎地帯にあってよき人材を確保するには
大塚 哲也
1
1厚生年金玉造整形外科病院
pp.21
発行日 1971年5月1日
Published Date 1971/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204308
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昭和28年11月1日,京大より本院へ医長として赴任して以来,医務部長,副院長を経て足かけ19年,こんなに長く山陰の地にとどまろうとは夢にも思っていなかった.初代塩津徳政院長のこ推挙により,本年4月1日付で2代めの院長となった.塩津名誉院長のすぐれた人がらと,卓越した技術には,とうてい及ばない私である.
‘院長になられておめでとう’と人びとは言ってくれるが,昔ならばいざ知らず,現在の日本における医療制度のひずみによる病院経営の種々の面での困難さを,副院長時代からよくわかっているので,いっこうにおめでたい気持ちにはならないどころか,これはたいへんなことだと頭も痛いし,肩の荷も重くなるばかりである.
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