特集 病院と労使関係
病院における争議行為の経験
諫山 文彦
1
1財団法人厚生団職員課
pp.37-43
発行日 1969年3月1日
Published Date 1969/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541203585
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はじめに
昭和35年から38年ごろにかけては,病院争議のはなやかな年であった.多くの病院において,大なり小なりその洗礼を受けたことであろう.当時は,すべての病院においてといってよいくらい争議行為にはまったくの無経験で,争議はまさに青天の霹靂ともいえる一大騒動であり,これには手をこまねいたというのが実情であった.事実そのような実情を反映して,争議行為は長期にわたるものも多く,また中央から全国的に燎原の火のように波及していった.
争議行為の経験にはいる前に当時の組合について述べると,厚生団傘下には7つの病院があり,東京・大阪・九州の3総合病院における労働組合は,それぞれ260名から290名の組合員を擁し,病院職員の過半数を越えるものであった.この3厚生年金病院の労働組合は,他の病院の組合とは別途に厚生年金病院労働組合協議会(三協)を構成し,日本医療協に一括加盟し,闘争至上主義の過激な性格をもった組合であった.
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