院長訪問
—山口労災病院長—石田 一夫先生
岩佐 潔
1
1病院管理研究所
pp.93
発行日 1966年10月1日
Published Date 1966/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202967
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山口労災病院といっても山口市ではなく,小野田市の中央部山手にあって宇部市にもごく近い。外来通院にはいくぶん不便な台地にあるが,病院としては静かなよい環境である。現在312床になっているこの病院も,昭和30年3月発足当時には整地もろくろくできない台地に1棟があるだけで,職員もわずか40人の50床病院に過ぎなかった。この小病院を初めから手がけて大病院に育てあげてきたのが石田院長である。
先生は昭和12年九州大学医学部を卒業して第2外科後藤教授の教室へ入局した。昭和17年炭鉱の飯塚病院外科部長になったが,昭和19年には応召して満州に渡り,敦化陸軍病院で終戦を迎えた。ソ連抑留中にドイツ人医師と一緒に働いたり,ソ連人医師との接触も多かった。ソ連では治療医学の技術普及は当時それほど十分とは思われなかったが,予防医学に重点を置き,病院でもハウスキーピングの要員が豊富で清潔整頓が大変によかった。病歴などの記録も大変によく,死亡者はすべて解剖していた。この時の経験が潜在的に先生の病院管理に役立っているのかも知れない。この抑留生活中に人間関係のむずかしさ,人間の弱さ,醜悪さなどについてもいろいろ経験し,深く考えさせられたということである。
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