人
東京労災病院長 近藤駿四郎先生
青山 一夫
1
1日本体育大学・運動生理学
pp.26
発行日 1973年3月1日
Published Date 1973/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204930
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東京が敗戦の虚脱からのがれ,京浜工業地帯にもようやく灯のともり出した昭和25年の春,森ヶ崎にわびしい木造2階建ての東京労災病院が建った.以来25か年,日本の災害医学史に脳神経外科の地位を確固たるものにしたのは,近藤院長である.各地に新設されていく労災病院の偉容をながめながら,傾きかけた病棟において脳外科および外科の合同で行なわれる院長回診はまさに壮観で,森ヶ崎の思い出として今も往時をしのぶ語り草となっている.
油虫のはい回る病室で,烈々たる討論が展開され尽きるところがなかった.各地から集まってくる労働災害,交通災害による後遺症患者の診療のなかから外傷性頸性頭痛症なる症候群を世に問い,その臨床像,病態生理,治療に関して一連の体系づけを行なったのはそのころである.
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