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GenevaからLisbonまで
橋本 寛敏
1,2
1聖ルカ病院
2日本病院協会
pp.629-634
発行日 1957年10月1日
Published Date 1957/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201271
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欧洲の最高峰モン・ブランをすれすれに飛んで,ジエネバに着陸したのが5月6日夕方であつたが,翌日から世界保健機構(World Health Organization)の第十回世界保健大会(Tenth Health Assembly)が開かれた。世界78カ国の代表が出席した今度の大会のハイライトは「公衆衛生計画に於ける病院の役割」(The Role of the Hospital in the Public Health Programme)と題する技術討議会(Technical Discussion)であつた。技術討議といつたのは,各国代表が保健に関する政治的の会議ではなくて,保健の根本問題について学術的討議研究するという意味である。それでこの会議に加わる人々は各国の代表者という「かみしも」は脱いで,全然非公式,個人の学徒として討議しようという趣旨であつた。
この会はWHOの幹部によつて早くから企画,準備され,本年1月10日発表されたDr.James H.Mackintosh (前ロンドン大学公衆衛生教授)の解説が,各国代表が本国を出発する前に配布されていたので,代表者は皆討議の本筋を心得て居た。この会の総議長はオースタラリアのDr.A. J.Metcalfeであつたが,5月10日の開会総会で以上の趣旨を概説し,筋書にとらわれないで,自由に討議してくれと念を押した。
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