連載 リレーエッセイ 医療の現場から
死の準備教育と看取りの文化
新村 拓
1
1北里大学一般教育部
pp.795
発行日 2009年9月1日
Published Date 2009/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541101543
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よく訓練された看護師の力と病院内の環境改善によって,入院患者の死亡率を著しく低下させることに成功したナイチンゲールも,病人は病院ではなく,家庭で看護されることがもっともよいと述べている.その彼女が亡くなる前年の1909年,日本では大日本看護婦人矯風会の大関和(おおぜき ちか)が東京の神田に派出看護婦会を開設しているが,これは患家と雇用関係を結んで,教育の行き届いた看護婦(師)を入院先や自宅に派遣する組織であった.戦前までの上中流家庭では,かかりつけの医師による往診と雇用した派出看護婦によって,家で病人を看取ることのほうが,入院よりもはるかに多かったのである.大した治療法のない時代においては,家庭での安静が有効な処置でもあった.
戦後になると,抗生剤・抗結核剤が生まれ,また外科手術の安全性や技術的な向上もあって,人々の目は病院に向き始める.政府は戦災で失われた病院の復興を民間に任せるため,医療法人制度の創設(1950年)をはじめ,医師優遇税制(1954年),医療金融公庫の発足(1960年),公的病院の増床規制(1963年)などといった措置をとった.それにより,診療所から病院への建て替えが進み,病院に派出看護婦が吸収され,彼女らのかつての職場は,無資格の家政婦らに取って代わられることになった.
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