レポート
杏林大学医学部付属病院熱傷センターにおける質向上の取り組み
田中 秀治
1,3
,
高見 佳宏
2,3
,
後藤 英昭
1,3
,
榊 聖樹
1,3
,
島崎 修次
1,3
,
渡辺 淑子
1,3
,
木村 雅彦
1,3
1杏林大学救急医学
2杏林大学形成外科
3杏林大学熱傷センター
pp.232-238
発行日 2003年3月1日
Published Date 2003/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541100578
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昭和54年,杏林大学医学部付属病院に救命救急センターが開設し,その2年後の昭和56年に,当救命救急センター内に3床の重症熱傷治療ユニットが東京都重症熱傷治療施設として指定された.
当時,三多摩地区には熱傷専門治療施設はなく,三多摩全域の熱傷患者のみならず,東京都内23区のうち世田谷区,杉並区,練馬区などからも広く患者を受け入れてきた.その後近隣の基幹病院に熱傷ユニットが開設されると,患者数が減少し搬送されてくる地域も三鷹市,武蔵野市,調布市,小金井市,世田谷区,杉並区,練馬区などに限定されてきた.
しかし,平成3年日本初のスキンバンクを杏林大学救急学教室内に設立し,平成5年当院救命救急センターの新棟オープンとともに熱傷ユニットに水治療室を併設し治療室を4床に増床したところ,再度患者数が増加し始めた(図1).その後,施設の整備と治療スタッフの熟練,知名度の上昇などの因子がかみ合って,治療成績はしだいに向上してきた.
また,平成12年6月に熱傷ユニットはリニューアルし,新たに熱傷センターとして病院内組織の一つの単独したユニット(看護単位)として改変され再スタートを切った.現在では西東京のみならず,広く関東または日本から受傷患者が搬入されるようになってきており,重症例には患者ごとに医師,看護師,作業療法士,理学療法士,ソーシャルワーカー,薬剤師などを含めたコメディカル参加型の熱傷治療チームを編成し,日々の治療に当たっている.
本稿では当院熱傷センターができるまでと,熱傷センターにおける様々な質向上の取り組みについて報告する.
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