連載 リレーエッセイ 医療の現場から
『故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る』
刀山 泰子
1
1総合病院福島生協病院
pp.685
発行日 2006年8月1日
Published Date 2006/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541100363
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当院は広島市の西部に位置し,原爆投下から 10 年後の 1955 年に前身である福島診療所が設立され,その後 50 年の間,地域医療と被爆医療を中心に診療を続け現在に至っている.1960 年代初めには相談室を置き,専任の医療ソーシャルワーカーが相談業務を行ってきた.部落差別,貧困,被爆の三重苦と闘ってきた歴史を持つこの福島地区では,長い歴史を経てもなお,この三重苦から逃れられない現状を目の当たりにすることが多くある.
当院ができるまで,福島地区の医療は不十分であった.福島町出身の医師が明治 7 年に開業し昭和 6 年に死去するまで部落住民の健康を守るために診療を行ったのが最初で,大正末期から昭和 7 年の間に 4 名の医師が同地区で開業している.しかし,差別と貧困のため医療経営が成り立たないと判断し,長くて 10 年,短くは 3 年で他地区に移っている.そのため,昭和 7 年に最後の開業医が転居した後,戦後の同和対策事業の一環として昭和 23 年に市立西診療所が設立されるまでの 16 年の間,無医地区となってしまっていた.そして,貧しく,部落地区の住民ということで隣接地の開業医に行っても診療を断られたり極めて冷たく応対されるため,治療を受けることができず悲惨な死をとげた人もいたという.市立診療所の設立により問題は解決されたかに見えたが,施設は悪く,医師が常勤でないことで多くの問題が残っていたため,地域住民の運動により当院の前身である福島診療所が設立されたのである.
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