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嘆かわしい現状
医療者,殊に医師とのコミュニケーションにおける不協和音を嘆く患者は相変わらず多い.その嘆きは,時に怒りに,怨嗟に変わり,医療という “場” のエネルギーを低下させている.
――「こちらの気持ちなど全く付度せず,滔滔と検査所見について話した後,すぐに入院の手続きをしてください,だって.何これ? て気分でしたわ」
「進行度はⅢといったところですね.手術をしなければ3か月の余命,手術をしても2年といったところでしょうか,だって.ムラムラっと怒りがこみあげてきましたよ.いくら医者だって,他人の運命を土足で踏みにじる権利があるのだろうかって.しかも人生経験の乏しい,あんな若造にいわれたことが余計腹立たしいんですよ」
「…通院といったって,別に身体(からだ)の診察があるわけではないし,どうですか? って訊いて,採血するだけなんですよ」 「腫瘍マーカーの値を教えてくださいといったら,素人は知らなくたっていいんだ! これですよ」
「もう治療法はありません.緩和ケア病棟を紹介しますから行ってくださいといわれました.でもまだ早いような気がするんですよ.だって,今日だって駅からここまで歩いて来たんですよ」――
まだまだ枚挙に遑いとまがないが,このような不協和音は,患者側は「からだ(Body)だけでなく,こころ (Mind) にもいのち(Spirit)にも目を向けてください」といっているのに医療者側は相も変わらず,からだだけに注目している.そのギャップから生まれてくるのである.「スピリチュアルケア」といい「医療におけるスピリチュアリティ」といい,何も特別なものではないのだ.医療者が患者のからだだけでなくこころにもいのちにも思いを遺るという医療の本質に立ち戻ればいいのである.そしてこのような不協和音がなくなるだけで,特効薬などなくても治療成績がぐんとアップすることはまちがいない.
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