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はじめに
全国自治体病院協議会精神部会の作業療法研究会は,日下部病院を研究実態調査の対象にさせていただいた.まずそこでなにゆえに日下部病院を対象に選んだかを述べなければならないと思う.
日下部病院の松井紀和院長の作業療法に対する基本的な考え方は学会報告,印刷物などでだいたいのところは了解していた.そういうことで一度ぜひ現場を見学したいとかねがね考えていたのが,真実このたびの見学の直接的な契機であった.
そこで,筆者は昭和45年8月19日日下部病院を訪れたのであったが,この小文がいわばその報告書である.
病院は山梨市の中心部から少しくはずれて,笛吹川の上流に沿って,こじんまりと位置している.萄葡畑,野菜畑,笛吹川の堤といった東京あたりから出かけて行った者にはなんとも羨ましい環境の中にある.入院患者数はおおよそ200名くらい,規模は単独精神病院としては理想に近い.
松井院長には前もって連絡はしてあったので,来意を通じさっそく院長室に通された.院長室は,玄関の靴脱ぎを上がってすぐ右手に事務室があり,その隣にある.ふつう,病院では院長室は病院本館のいわば奥の院に位置し,立派な調度品がしつらえられてあって,なかなか気軽に誰もが立寄ることができにくいようになっているが,ここの院長室は全くの玄関脇である.これには何か特別の配慮があってのことであろうと,院長にうかがったが先代の院長時代からこうであったとのことであった.わたしは,院長室のあり方としては1つの見識であると思う.
ここではじめてさしで院長にお会いした.長身,総髪,辺幅をかざらず,松井さんは憤慨されるかも知れないが,教祖的風貌で,平々凡々の医者ではなかろうという印象をまず最初にうけた.
わたしものっけから来訪の趣旨を告げて,お互いにざっくばらんに話し合った.つまり,外交辞令的な初対面の挨拶などはぬきである.以下にその時の松井院長の説のあらましを記したいと思うが,なにしろ去年8月におうかがいして,この小文を記すのは本年3月であるし,その意を十分つくせないばかりか,誤りなさも保ちがたいことをお断わりしておく.
松井院長日く‘薬物療法にしても,ショック療法にしても個人を対象にしている療法で,本来治療というものはそうあるべきものである.一方作業療法は書物にも集団療法であると記載してあるように,もっぱら大勢を相手に行なうという感覚で今日まできた.個人を相手にやるとなると,個人の診断,診断に基づいた目標,その目標に迫るための方法論が生れてこざるを得ない.その方法論のなかに力動的な考え方,それが基礎になって,たとえば欲求,ニードを満たしていくためにはどういうことをさせたらいいのか,ということが生れてくる.今日までは,集団を主として対象にしていて,その中の個々が問題になったのだろうが,経験至上主義的に,いわゆる経験的に問題にされていて,科学的にとらえようとしていなかったのではないか.しかし一方作業療法を進めていくためにはグループを利用しなければならず,それにはグループ・ダイナミックスも当然必要になる.集団をどうとらえていくか,集団の中に流れる感情とか,ヒューマン・リレーションがどう変わっていくのか,どういう力が働いているのかということについて勉強し,その意味で集団を利用していくという意味の集団療法だと賛成です.作業療法の場合,精神療法的な働きかけをするさいにどういう考え方をとるか,ここは分れていると思う.必ずしも精神力動的な立場をとらなければならないということはない.何らかの心理療法によりとってかわることができれば,そのようなものがほしいと思う.私個人は全くサイコダイナミックな考え方であるので,分裂病も心理療法的にかなり動かしうるという考えを持っています.これは必ずしも万全なものでなく1つの仮説的な理解です’あらまし以上のようなことであったと思う.こういうしだいで筆者としてはこの病院に来てよかったと感じた.
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