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編集後記
冨岡 詔子
pp.747
発行日 1984年10月15日
Published Date 1984/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518103195
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障害児(特に肢体不自由児)教育の現状と展望の特集を組みました.「高木憲次―人と業績」によると,肢体不自由児なる名称を高木博士が提唱したのは,昭和3~4年頃であるという.また,昭和7年の光明学校の誕生に対しては,「……私の希望する学校と病院を兼ねた教療所はついに受け入れられなかった.当時の空気としては,治療すると子供が怖がるだろうということで,医療の介入を危惧する向きが強く,……(光明学校へ派遣した)両人も校医の域を脱しきるこが出来ない」と述べています.
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