The Japanese Journal of Physical Therapy and Occupational Therapy
Volume 8, Issue 11
(November 1974)
Japanese
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はじめに
与えられたテーマに忠実にそえば,昭和47年12月から現在に至るまでの期間に私自身がどのような目的をもってここに就職し,どんな障害にぶつかり,どのように解決してきたかのプロセスを述べるのであろうが,今だに患者にふりまわされ,どろどろしたものをめったやたらにとり入れている段階で,とても客観的に整理してはきだせるまでにはなっていない.この病院へ就職した動機には,1),精神科のO.T.が実際にはどう行なわれているのか?,果たしてひとつの専門分野として存在しうるのだろうかという疑問を自分自身の体験から解明したい.2)そのためには全くのゼロから開拓するよりも,レールがある程度敷かれていて強力な指導者が得られ,管理的な面や治療面で泥沼に陥る危険の少ないところ……,などを考えていた.
いわば,日本人の「甘えの構造」をむきだしにしてのスタートであったと思う.今,その当時の気持をふり返ってみると,リハビリテーション学院での紛争とか,私生活での出産・育児とかをきっかけにして表面化したモヤモヤ感,不全感など,いわば私自身のアイデンティティ・クライシス(Identity Crisis)をなんとかしなくちゃーという情緒的な動機も主なエネルギーとなって日下部病院への就職に至ったのだと思う.
というわけで,最初の一年間は,まず今まで実施されてきているプログラムを知り,それを維持し,目の前の患者をどうするかで精一杯だったし,種々の論文で発表されている松井の生活療法理論が実際にはどのようにあてはまるのかを試行錯誤の中でハダに感じとるだけだったともいえよう.この論文では,こういった試行錯誤の中で感じた日下部病院での作業療法の現状と,私なりに感じた点を報告してみたい.
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