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中国の‘はだしの医者’について
鳥山 稔
1
1関東労災病院耳鼻咽喉科
pp.1580-1588
発行日 1973年12月1日
Published Date 1973/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916834
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Ⅰ.はじめに
私は昭和32年東京大学医学部を卒業して,33年耳鼻咽喉科教室に入りました.耳鼻科の医師になって3か月ぐらいした夏の日,北海道の阿寒から,3歳になる女の子が,おしゃべりをしないと言って連れて来られました.当時は,このぐらいの子供の聴力検査を行う施設もなければ,方法もはっきりしていませんでした.
そのころ小児科の長畑政道,丸山博先生などと協力してこの子供の聴力を,かなり無理をして測定して,聴力が悪いから聾学校に行きなさいと言って帰してしまいました.麻酔から覚めたこの子と母親が病院の正面玄関に座っていたことを,今でも忘れません.以来,小児科と協同して,耳鼻科では河村正三順天堂大学教授などと一緒に子供の聴力測定法などについて研究を重ね,ほぼ14年間が過ぎ去った訳です.
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