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現在日本の医療行政の諸問題の中で,何と言つても一番重要な,そして一番厄介な問題は,国民皆保険の一環として行われる都市国保の問題である。厚生省当局は事京都の国民保検さえ実施されれば,全国に実施されたも同様であると言つて,全力を挙げて診療担当者の東京都医師会と東京都民生局を通じて,折衝を続けてきた。その都医師会の代表選手に東京都医師会副会長として河島光氏がいる。毎日毎晩それこそ,不眠不休,寝食を忘れて国民医療と医師の生活の安定や学問的治療の為に闘つている。このたびやつと妥結して都の岡民保険も12月から実施となつた。
その河島氏は明治35年12月生れで満57歳,年のせいとはいえ.今迄万年青年で通つて来た氏も前述の都市国保の問題と取組んでからは,目立つて白髪が増えて来た。これも当局との折衝の苦労が滲み出た結果であろう。氏は静岡市の出身,静岡中学を卒業してしばらくは自ら飛び込んで職工となり,労働者として貴重な体験をした。それよつて大いに感ずる所があり慈恵医科大学の予科に入学,本科を昭和9年に現在慈恵医科大学教授(耳鼻科)の高橋良氏らと共に卒業,学生中は弁論部に籍を置いて国会議員選挙の時にはよく応援弁士のアルバイトをやつた由,そういう点現在の氏の理論家振りを知る人はハハアンと頷けるものがあると思う。氏の家柄は旧家であり,18代も続いている稀な先祖伝来の医人である。兄弟は12人,内4人が医師で内科であるが,三男である氏だけが,耳鼻咽喉科である。何故耳鼻咽喉科を選んだかと言えば,或る解剖学の先輩に「一」の字を書かされたところ,その字を見て是非耳鼻咽喉科をやれと言われた。今迄内科か小児科をやる積りであつたのが「一」の字を書いたばかりに耳鼻咽喉科をやる事となり,母校の佐藤重一教授の教えを乞う様になつたという経緯がある。
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