プロフィル・8
渡辺 篤氏
F生
pp.1084
発行日 1960年12月20日
Published Date 1960/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492202588
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昭和35年11月5,6日三重県伊勢市で行われる第12回日本気管食道科学会総会々長は三重県立医科大学耳鼻咽喉科教授であられる渡辺篤先生である事は周知の事と思う。然し日本耳鼻咽喉科学会の諸先生でも,その渡辺先生の関係者以外では恐らく渡辺先生はどんなお方であるか御存知のお方はあまり無いだろう。寧ろ同大学学長の星野貞次先生の下で黙々として単に大人しく控え目勝ちな好紳士として受け取つて居られるお方が多いのではないかと思われる。然し,第三者が少し政治的な物の見方をすれば三重県立医大が学長が耳鼻科で,大学病院長が耳鼻科である。而もその大学病院長が足掛け25年もやつて創立以来ずつと一貫して病院長に渡辺先生がなつて居られると言えば,之はその病院長は並々ならぬ人物である事に気附かれるでしよう。事実あの温厚な渡辺教授にそんな強い信念と実行力と統卒力があるとは一寸気がつく人は恐らくあまり無いでしよう。
渡辺先生は明治32年の出生で本年61歳,第三高等学校から京大医学部へと秀才コースを歩まれ,大正12年に京大を卒業され当時の和辻春次先生の率いられる耳鼻咽喉科教室に入局,その後主任教授が星野貞次先生になられ,その下に於て星野先生の一貫した御仕事の前庭迷路に関する一連の研究で,「圧迫性眼球振盪の実験的研究」で昭和5年に学位受領された。
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