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本年3月末に開催された第61回社団法人日本耳鼻咽喉科学会総会に於て決定された事項の内の一つに,本年秋行われる日本学術会議議員の選挙に口本耳鼻咽喉科学会は統一候補として後藤光治氏を推薦する事に決定して,学会の会員はこぞつて後藤先生を応援する事となつた。そこで本月は後藤先生の横顔を描いてみよう。
後藤先生は明治33年,兵庫県の出生で,大阪府立市岡中学,第三高等学校を経て,京都帝国大学医学部を大正14年に卒業され,直ちに耳鼻咽喉科学教室に入局,星野貞次教授の教えを受け,昭和2年講師となり,同時に財団法人北野病院(在大阪)の耳鼻咽喉科医長を兼任された。之は後藤教授がその設立に非常に努力された関係もあつて,後に教授になられてからも昭和26年には北野病院長その後は専務理事を兼任された位である。次いで,昭和6年助教授,昭和18年陸軍司政官として当時のジヤワのジヤカルタ大学の教授に赴任され,昭和21年星野教授停年退職後に京都大学医学部耳鼻咽喉科教授に就任,32年京都大学病院長兼京都大学評議員になられて現在に至つている。その間,24年に学会では「喉頭結核の成立に関する実験的研究」の宿題報告をされ,30年の第14回日本医学会総会の時はその準備委員長であり,且又第57回日本耳鼻咽喉科学会会長として七面八腎の手腕を発揮された。又吾々の記憶の新らしい所では,先年の33年9月に京都で行われた第7回国際気管食道科学会には会長としてその責を完うされ,予期以上の大成功をみたのは唯々並々ならぬ人物である事が伺い知られる。その他京都に於けるBlood Bankの仕事が中心である社団法人体質研究会理事和風会医学研究所日独文化研究所等を自身が中心になつて設立され夫々理事を務めていられる。勿論日本耳鼻咽喉科学会も理事である。又大学に音声科学研究所を作り部長として新分野を開拓するなど正に身体が幾つあつても足りない程の活躍振りである。
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