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台湾訪問記
西端 驥一
1
1慶応大学医学部
pp.203-205
発行日 1957年3月20日
Published Date 1957/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492201757
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二,三年前から起つていた台湾医学会総会えの招待問題が昭和31年11月になつて本きまりとなつた。それには嘉義の蔡陽輝博士と公共衞生試験所長陳拱北教授の蔭の斡旋が与つて力があつた。それに耳鼻科の方々の有力な援助が物を云つたので私は之等の方々の厚意に胸をしめられる思いがした。
13日のCALの飛行機で出発するつもりがヴイザが仲々下りず,今日か明日かとやぎもきして同行の婦人科の安藤教授は遂に肝癪を起してもう行かぬと云い出す始末。16日が総会第1であるが15日に待望のヴイザが下り同夜深更羽田空港に車を飛ばした。日本医大の塩田学長,斉藤教授(外科),村上教授(小児科),東邦医大の森教授夫妻(解剖)も同じ飛行機である。
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