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耳鳴の成因は不明なまゝに数多くの治療法が報告されて来たが何れも普遍性を欠いていた。その試みられて来た治療法が質的に極めて多岐に亘ることから見ればその成因も又広い幅を持つていることが推測される。神経性,血管性,炎症性及び反射性な各種の刺戟によつて耳鳴は起つているのである。治療は之等の刺戟の質に対応して考案されているが必ずしも奏功しない点より耳鳴の成立のためには之等の刺戟との間に更に一つの因子が必要であるように思はれる。神経や血管や消炎に対する薬物を与えても耳鳴は必ずしも消失しないのである。耳鳴が起るためには聽覚に関係のある或る部に変化を起すことを必要とするが,それを伝音系機構に於て起ると見るか,感音系機構に於て起ると見るかによつて,耳鳴の成因に関する学説が大きく二分される。耳鳴の成因を感音系組織の異常興奮と見做す学説が最も普及し,今では常識とさえなつているが,臨床上の事実に照合してみると矛盾を容易に発見出来る。その矛盾のうちで説明に困るのは耳鳴の発現と聽覚の異常とは必ずしも一致しないことであり,病的な興奮を起した聽神経—Atkinson1)に依ればParesthesieの状態にある聽神経—が雑音の自覚と共に適応刺戟に対しては生理的な反応を同時に呈することである。又外耳,中耳及耳管に於ける変化から耳嗚を起すためには之等の部位から何等かの方法によつて聽覚系の組織に異常刺戟を送ることが出来なければならない。中耳及耳管はよいとして外耳の耳垢栓塞が除去されて耳鳴の止むことは反射に依るとしてもその成立を反射によつていたと見做す事は無理である。私2)は之の意味から音源の生理的な存在を耳及びその周囲に仮定し,伝音環境の異常により聽域に入るに至つたものを耳嗚と見做す考え方を持つようになつた。之の仮説では耳嗚の成立は機能的なものから器械的なものに代つた。臨床的にはわかりよいが音源の仮定がこの説の最も大きな難点である。若し音源が聽神経自身だといふことになると感音系異常説になつてしまう。勝木教授5)は鰻の側線器の自然放電から人の聽神経終末にも同樣の放電を推定してこれを耳嗚の成因と仮定した。この学説も又大きな間隙を飛び越えなければ成り立たない。同樣な学説であるがSchneider6)の学説の方が広い幅を持つている。彼は人の聽感系器官には発生学的に魚の側線器から発達したものとさうでないものとの二系を仮定し,自然放電を常に発しているのは前者であり,環境の変化によつて感知されるに到つたものが耳嗚であるとして,聽感系器官を2本立にしているから感音系異常説に見られたような矛盾が生じなくなる。そんな2本立の聽感系組織が証明されたものでもないので全くの臆説ではあるが,臨床上の説明には都合よく,伝音系異常説と感音系異常説とを包含した仮説である。私の仮説も若し音源が聽感系組織の一部だとすると之の説と同樣のものになる。私は伝音環境の異常の他に音源自身の振動の増強を仮定した。伝音環境に変化があると思はれない場合,即ち一般には神経性耳嗚と呼ばれているものでは,音源自身の振動の増強を仮定するよりないからである。強いて仮定するならば内耳又はその周囲の伝音に関係ある組織に何等かの変化が起つているかも知れないが.実証のない現在としては一応こう仮定するよりない。
耳嗚の治療法は古くから器械的の療法と薬物的の療法とに大別されるがそれも耳嗚を中耳性及び中枢性(神経性)と見做してのことである。私の仮説で伝音系器官の異常によるもののうちに中耳性耳嗚は入り,音源性異常によるものが中枢性(神経性)と呼ばれていたものに相当するのである。耳嗚を,真の耳嗚を成因的に分つと音源性のものと伝音性のものとに分たれる。前者は機能的なものであり後者は器質的なものである。
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