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土肥章司君の横顏描寫
山田 弘倫
pp.341
発行日 1951年7月1日
Published Date 1951/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200552
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讀者にして土肥君を77喜壽の翁と見る仁がありますか。同君は50有餘年の昔,眉目秀麗優雅の風釆全く貴公子然たる白晢の青年でした。その下左記の如き頭腦の持主であつたから,土肥先生に濟々多士の中から選ばれて弟分として舊姓栗田がら土肥を名乘られたのである。
同君は明治30年醫術開業試驗に合格されている。次で東大佐藤外科の介補となり,更に病理學及細菌學の選科生として修學し,34年4月皮膚科教室の介補となり,約5年在籍し,39年3月獨逸ブレスラウ大學皮膚科教室に約3年研究,42年歸朝,44年學位を受領された。大正元年金澤醫專教授,同12年金澤醫科大學教授となり,同14年歐米留學視察,昭和元年歸朝,同6年慶藏先生不起臥褥の結果,其診療業務繼承の爲めに辭任された。勿論金澤醫科大學名譽教授の稱號をも得て居られる。後昭和8年より19年まで慈惠醫大の教授を務められた。昭和22年日本皮膚科學會名譽會頭となられたのである。業績は數多指を屈するに餘りあるが,就中膿痂疹の病原菌發見,及び文身と梅毒の二業績は著名なものだ。
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