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福井県と聞いて皆さんは何を連想するでしょうか.実は福井県は,日本の皮膚科学の始祖,土肥慶蔵先生生誕の地なのです.福井出身にもかかわらず入局後にそれを知った浅学な私ではありますが,今回は福井県内の土肥先生ゆかりの場所やエピソードを,いくつかご紹介させて頂きます.
まずは先生の生家跡地です(福井県越前市天王町1-31).何とgoogleストリートビューでも,ビルの入口向かって右に「土肥慶蔵誕生地之碑」が見えます.日本の皮膚科学がまさに生まれた大変感慨深い場所です.先生は慶応2年(1866年)6月9日,越前府中(現在の越前市)で代々藩医だった石渡家で五世宗伯の次男として生まれました.10歳で父,15歳で母を亡くされ,生活は大変苦しかったそうですが,進脩小学校(引接寺に開校し越前市役所の地へ移転.後の武生東小)に通っていた頃兄にもらった「育英新編」(国会図書館のホームページで閲覧できます)の一文に感銘を受け,「天才は勉強の別名なり」を座右の銘とし,生涯勉強に励まれました.先生は13歳で郷里を離れましたが,郷土愛が強く,明治20年(1887年)には東京で「武生郷友会」を作り,郷里から上京する学生の宿舎を開設.明治37年(1904年)には全国の福井出身の医師から成る「若越医師会」を作るなど,郷土の医学界発展にも尽力されました.これらの貢献に対し,昭和15年(1940年)には福井県医師会館(福井市大願寺3-4-10)に頌徳碑が建立されました.ストリートビューの昔の画像では,医師会館向かって左の庭の医師会創立100周年記念碑隣に見えます.昭和6年(1931年)11月6日に先生は東京麹町の自邸にて他界され,遺骨は東京の多磨霊園と,菩提寺である白道寺(福井県坂井市丸岡町石城戸町3-22)に葬られました.丸岡のお墓は福井大学病院の近くですので,郷土の偉大な先輩に対し,尊敬と感謝の念を込めて時々はお参りをして,心新たに日々の診療を行っていこうと思います.
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