扉
Highly Qualified Neurosurgeonを目指して30年
江口 恒良
1
1医療法人鉄蕉会亀田総合病院脳神経外科
pp.904-905
発行日 2001年10月10日
Published Date 2001/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436902105
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昭和49年(1974年),脳神経外科に入局3年目に,スイスチューリッヒ州立大学脳神経外科のYaşargil教授(microsurgeryの世界第一人者,怒りっぽいことでも有名)のもとに留学することになった.そこには,京大から菊池晴彦先生,米川泰宏先生他数名の先生が留学されており,東大からの長期留学は私が初めてということだった.ちょうどYaşargil教授が脳神経外科のDirectorをProf.Krayenbühlから引き継がれ,すべてのことにやる気満々の気風が感じられる時期であった.
Yaşargil教授から一通の手紙が届いた.「日本人が勤勉であることはわかっている.ただ外国語が下手であることもわかっている.推薦者が『江口は語学に堪能だ』と言っても俺は信じない.ドイツ語をマスターしてチューリッヒに来るように.臨床を行うとき語学が不十分であれば,十分になるまで給料を払わない」という内容であった.「ずいぶん厳しいことを,はっきり書いてくる人だなあ」という感想を持った.いよいよスイスに向かいYaşargil教授に初めて会う日がやって来た.最初が肝心で,そのときの彼の印象で,私が給料をもらえるかどうかが決定されると思った.いろいろと心を砕いたものだ.当時,上映されていた『史上最大の作戦—The Longest Day—』にも匹敵するながーい一日だと感じた.
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