報告記
第一回日中脳神経外科シンポジウムに出席して
近藤 達也
1
1国立病院医療センター脳神経外科
pp.1079
発行日 1990年11月10日
Published Date 1990/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436900173
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天安門事件以来ちょうど一年が経ち,日本ではその情勢が気にかかっていた頃であったが,5月30より6月2日までの4日間,中国の四川省重慶で「第一回日中脳神経外科シンポジウム(首届中日神経外科学術報告会)」が開かれた.予想に反して中国の情勢は平静そのものであった.これには,中国各地より約250名の教授,副教授クラスの脳外科医が参集し,日本からは,高倉公朋(東京大学),金谷春之(岩手医科大学),間中信也(帝京大学市原病院),村岡勲(国立精神神経センター)の各先生,そして私の5人が参加した.もともと,高倉公朋教授及び,北京脳神経外科研究所王忠誠教授の肝いりでこの会の設立があり,北京にある中日友好医院の左煥琮副教授のお骨折りにより開催に漕ぎつけることが出来たと言って差し支えない.
会場の重慶医科大学内では,例によって熱烈歓迎の垂れ幕,花束贈呈,重慶副市長の挨拶も行われ,万里の長城と富士山を配した特別なシンボルマークまで準備され大変な力の入れようであった.演者は日中あわせて18名で,一人約60分の講演が行われ,かなり活発な討論がみられた.日本人の溝演に際しては,一節毎に通訳があり,内容は略々リアルタイムに伝えられた.中国側の演題の特徴は,症例数の圧倒的多さであろう.例えば,クッシング病に対する経蝶形骨洞の手術例が一施設(北京の協和医院)で100例もあり,しかもそれが良い手術成績を伴っており,この国のレベルは施設によって,また医師によって非常に高いことがわかった.
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