扉
第5回国際脳神経外科学会を終えて
石井 昌三
1
1順天堂大学脳神経外科
pp.509-510
発行日 1974年8月10日
Published Date 1974/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200208
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1969年9月20日ニューヨークで行なわれた国際学会の初日に,第5回国際脳神経外科学会の開催地は東京に,会長に佐野圭司教授が選出された.この決定は必ずしも寝耳に水と云ったものではなく,或る程度予測はされていた.大方の見るところ,第5回学会の最有力候補地はモスコーであったが,1968年8月ソ連軍によるチェッコスロバキア侵攻事件が起ってから,特にヨーロッパ各国から猛烈な反撥が起った.その後にあれやこれやの経緯があったが,結局日本でやる事に決った訳である.
私は第2回のワシントンでの学会から第3回のコペンハーゲン,第4回のニューヨークと欠かさず出席して来たが,何時も一聴衆,或は一出題者として,誠に気楽な参加者であった.興味深い演題だけを聞き,会場で久方ぶりの旧友に出会うとゆっくり再会を楽しんだり,sight seeingに出かけたりしてのんびり楽しむのを常とした.ところがニューヨークで私が組織委員長に選出された事を,佐野会長から耳打された時点から事態は一変した.最早のんびり講演を聞いているどころのさわぎではない.会場のあちらこちらを駆けずり廻り,会場の大きさ,同時通訳の仕組,開会式の式次第,展示場の様子等を調べたが,所謂,表向きの学会業務の概略を理解するには,それ程時間はかからなかった.ところが,混乱を避ける様なregistrationをどうやるか,原稿の受付,或は種々の苦情処理,参加者間の連絡方法や,旅行業務の斡旋,レディスプログラム,報道陣とのインタビューetc.etc..
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