扉
使命,宿命,天命
佐野 公俊
1
Hirotoshi SANO
1
1藤田保健衛生大学脳神経外科
pp.103-104
発行日 2010年2月10日
Published Date 2010/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436101103
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1976年,私が当大学に赴任して来たとき,ばんたね病院の藤本和男教授の関係でインドからドクター・シャーが研修医として既に勤務していた.その関係からインドとの交流が始まり,講演,手術などで訪印する機会も増えた.また,インドからの留学生も数多く受け入れてきた.そのようなわけで,最近では,街やインド以外の外国の空港でインド人を見ると何か身近な人のような気がする.
制度上カースト制がなくなったとはいえ,インドには現実的に,未だカースト制の概念が残っているようだ.このカーストという言葉はポルトガル語のカスタ(血統),ラテン語のカストゥス(純血)に起源を持っているヒンドゥー教の身分制度で,バラモン(司祭),クシャトリア(王族,武士),ヴァイシャ(平民),スードラ(一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことができる奴隷),さらにその下のカーストのヴァルナの枠組みに入らないアウトカーストであるアチュート(ダリット)とに分けられる.カーストは親から子に受け継がれ,生まれた後にカーストは変えられていない.また,ヒンドゥー教徒の間では同一カースト内での見合い結婚が大原則である.このようなカースト制を,インド人は意外にも受け入れているのである.そして生まれてきたその人の運命は,すべて決まっているのだという.それでは何の努力をしてもしょうがないではないかというと,努力や行為によっては次の人生でのカーストが上がるので,そのために努力をするという.われわれが運命は既に決まっているのだといわれれば何もやる気がなくなってしまいそうだが,彼らはそれを受け入れているのである.
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