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今年も沢山のレジデントがやって来て病院は賑わっています.そんな若者たちを見ていると,だれもがそんな年頃だった自分を思い浮かべるのでないでしょうか.私もそんな“ういういしい”レジデントに接すると,その当時に自分がどんな医師を目指していたのかを改めて考えさせられます.
私は1970年(昭和45年)に東北大学を卒業しました.当時はインターン制度が廃止されてまもない頃で,学園紛争の真只中でした.卒業式もなく,私達のクラスは入局反対・医局解体を決議して,各地へ散って行きました.当然,私も入局はせず,個人交渉でいくつかの市中病院で外科系ローテートをしました.そして最後の半年ほど船医として西アフリカを航海した後,1972年に今の都立府中病院で脳神経外科の研修を開始しました.しかし,研修とは名ばかりで,ただ見様見真似で医療を行うという毎日でした.また,脳神経外科臨床に関しての教科書といえるものもなく,「耳学問」が最も重要な勉強などといわれる時代でした.やはり,医局に属さずに1人前の専門医になることは必ずしも容易ではないようでした.しかし,人間は「何かが不足する」とそれを「何かが補う」ように発達するようになります.教育システムなどというものはなく,余程のことがないと教えてくれる人はいないので,必然的に人並み以上の「教わられ上手」・「教えさせ上手」になる能力が備わるようになりました.さらにもう1つ,自分より若い医師から積極的に「教えてもらう勇気」を持つことが必要なことにも気づきました.どうみても自分より経験の少ない若い医師からも,「教えてもらえる工夫」をするようになりました.よくよく考えてみますと,「その若い医師から教えてもらう」というよりも,「その若い医師を指導したベテラン医師から間接的に教えてもらっている」ということがわかりました.さらに,「良いと思ったこと」は,その個人やその背景にこだわることなく何でも取り入れるようにしました.今では懐かしい「ウデトロ(逆行性上腕動脈撮影)」,「クビトロ(経皮的頸動脈撮影)」,「PEG」などの検査が午後の主な業務でした.自分は府中病院にとどまりながら,1年あるいは半年ごとに各大学から派遣される若いローテーターから沢山のことを学びました.
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