Japanese
English
特集 錐体外路系・Ⅱ
核黄疸並びにその後遺症としての脳性小児麻痺について
Kernieterus and Encephalopathia posticterica
有馬 正高
1
,
福山 幸夫
1
,
長畑 正道
1
,
岡田 良甫
1
,
久保田 達夫
1
M. Arima
1
,
Y. Fukuyama
1
,
M. Nagahata
1
,
R. Okada
1
,
T. Kubota
1
1東京大学医学部小児科学教室
1Dept. of Pediatrics, Faculty of Medicine, University of Tokyo
pp.3-20
発行日 1959年11月1日
Published Date 1959/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1431901717
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歴史
核黄疸(Kernicterus)という名称は,重症黄疸の際に,淡蒼球,尾状核,視床下部,olive,小脳菌状核等,中枢神経系の諸核が特有な黄染を呈し神経細胞の変性を伴う状態に対して,1903年Schmorl100)が命名したものであるが,かかる変化の存在は既に1875年Orth82)により記載されていたものであるという。
その後かかる病変は主としていわゆろ家族性新生児直症黄疸の死亡例に認められることが注目され49)102),更にこの黄疸が胎児赤芽球症と密接であることがDiamond等により確立されて以来,胎児赤芽球症と核黄疸との関係が,肝機能や血液学的又は遺伝学的観点から種々論議された。しかし,胎児赤芽球症の本態に関しては不明のまま,数10年を経過したが,1940年,Landsteiner及びWienerのRh因子の発見に伴つて,母子血液間のRh型不適合により胎児赤芽球症の起り得ることが発見され65),核黄疸の成因に関しても画期的な発展が見られ,一時,核黄疸は総て母子間のRh型,特にD型不適合により説明し得ると考えられるようになつた63)。蓋し,欧米においてはD型陰性の頻度が高く,(約15%)104),従つて子供がD型陽性の場合に母子間の不適合が生ずる率が高い為,胎児赤芽球症の発症が多かつたことが本症の成因の解明を早めた大きな理由であろう。
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