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ヒトと動物のプリオン病を初めて結びつけたのはHadlow(1959)で,彼はニューギニアの原住民に発見されたクールーがスクレイピーに似ていることを指摘し,Gajdusekら(1967)のクールーの伝播実験のきっかけとなった。その成功に続いてCreutzfeldt-Jakob disease(CJD)も伝播され,ヒトと家畜に共通な特異な遅発性感染症の存在が多くの研究者の興味をひくこととなった。その頃Alperら(1967)は,スクレイピー感染物質に紫外線を照射しても不活化されない点から,感染因子に核酸が存在しないことを予言し,放射線によるtarget sizeの測定から感染因子の分子量は6~15万Dの間で,通常のウイルスより遙かに小さいことを報告した。これは後にPrusinerのプリオン説のヒントになった。
Prusiner(1982)は比較的短期間に発症するハムスター適応株を入手し,スクレイピー感染因子の抽出を行い,もっとも感染性に富む分画がほぼ単一の蛋白質から成り,核酸を含まないところから蛋白質性感染粒子“プリオン”を病原因子として提唱した。ついでOeschら(1985)は,このプリオンたんぱくのアミノ酸配列を決定し,それが宿主細胞固有の遺伝子により作られることを明らかにした。この正常たんぱく(PrPC)が病的たんぱく(PrPSC)に変わるのは,病因ではなく疾患産物にすぎないとの批判がさらに高まった。その後Hsiaoら(1989)は,遺伝性プリオン病であるGerstmann-Sträussler-Scheinker(GSS)病の家系の子孫に,プリオンたんぱく遺伝子のコドン102番がプロリンからロイシンに変わる点変異(P102L)を見出し,この変異を導入したトランスジェニック(Tg)マウスに変異量に応じた異常を証明した。とくにP102Lを高発現したTgマウスが自然発症したことは,GSS病のモデル動物といえる。ついでBuelerら(1992)は,プリオンたんぱく遺伝子を除去したノックアウト(KO)マウスは,除去率に応じて非発症ないし発症遅延を呈することを示した。さらにPrusiner一派は異なる動物種間の伝達実験の難易を決定する“種の壁”は,PrPCのアミノ酸配列の種差によることを,多数のTgマウスを用いた伝播実験で示した。その後PrPCの特定領域の切断や,KOマウスへの合成ペプチドの挿入(ノックインマウス)などが行われ,PrPCの全貌が明らかになりつつある。
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