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医学の中で、私が“ゲシュタルト”という言葉に初めて出合ったのは、2013年に発刊された『診断のゲシュタルトとデギュスタシオン』1)(金芳堂)を手に取った時でした。当時、わりと厳しい病院の研修医だった私は、コモンな疾患ですら診断するのに難渋する日々を過ごしており、「医学の中に数多ある疾患をうまく診断できるようになる日など来るのだろうか…」と途方に暮れていました。忙しい臨床現場でも自分で経験できる疾患には限りがあり、その少ない経験だけではうまく疾患を見抜く眼はなかなか養われません。研修医であれば尚更で、未熟者だった私は、さまざまな非典型的な臨床像に簡単に騙されていました。「この症状からこの疾患を想起するのか…」と悔しい思いをしていた頃に出合ったその名著には、great physicianである高名な先生方の豊富な経験知が詰め込まれていました。great physicianがどのように疾患を見抜いているのか、経験を通してしか身に付けられないはずの「疾患の全体像(ゲシュタルト)を捉えるための見識」が散りばめられた内容に、私は強い衝撃を受けたものです。まさに「巨人の肩の上に乗る矮人*」の感覚でした。
とはいえその後も、臨床をやればやるほど、疾患の取りうる臨床像の幅の広さに驚かされると共に、未だに臨床の奥深さを実感し続ける日々です。以前よりも騙されにくくなったとは感じていますが、その要因の1つとして、疾患が騙してくる時の“化け方”にはゲシュタルトがあり、経験知としてのストックが増えてきたことが挙げられます。その“化け方”とは、最近で言うところの「カメレオン」にあたるのでした。診断学の領域で「ミミック」という言葉がよく使われるようになりましたが、「カメレオン」という概念は、ある疾患がとりうる臨床像の幅を認識することにも役立ちます。ミミックもカメレオンも、偉大な先人たちの叡智の結晶であり、騙されないための大切な教訓を含んでいますが、カメレオンのほうはまだあまり認知されていません。
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