- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
下田光造(しもだ・みつぞう;1885-1978)は,わが国におけるうつ病の病前性格として世界に先駆けて「執着気質」(immodithymia)を発表したことなど,わが国の精神医学界に大きな足跡を残している。2002年に横浜で開催された第12回世界精神医学会(WPA)総会においても,下田の執着気質60年を記念したシンポジウムが開かれた。下田は禅などの東洋の文化を精神療法へ広く取り入れるとともに,同門の先輩にあたる森田正馬(もりた・まさたけ;1874-1938)が始めた森田療法を高く評価して自らの著書でも紹介し,治療にも積極的に組み入れた。これら精神療法,心理社会的治療学のみならず,神経病理学,生化学を基礎とした生物学的精神医学も精力的に研究を行って,わが国の精神医学の科学的研究基盤をつくった。
また,その円熟期ともいえる九州帝国大学教授(医学部長を歴任)を経て,終戦直前の1945年7月に郷里の鳥取へ新設の医学専門学校の校長として着任し,直後に終戦を迎えた。下田は終戦直後の混乱の時期にあって,文部省,進駐軍と精力的に折衝を重ね,大変な努力の末,開設間もない医育機関を守った。以後,米子医科大学さらに鳥取大学学長として多くの弟子および学生の教育にあたり,医師としての人格の陶冶を基盤とした医学教育者として地域に多大な貢献をした。
これらには,一貫して流れる思想,信念が感じられる。以上について順次紹介したい。
なお本稿は,筆者が10年あまり前に依頼されて分担執筆した『東京大学精神医学教室120年』における一節「下田光造=その足跡と人となり」1)をもとに,その後,下田の学説が再評価されてきた昨今の精神医学界の動向を加味して執筆した。
Copyright © 2017, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.